子どもを通して偏見を持っていることに気が付く

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こんにちは。ライターのころんちょです。

「偏見」という言葉があります。

かたよった見方・考え方。ある集団や個人に対して、客観的な根拠なしにいだかれる非好意的な先入観や判断。

デジタル大辞泉

私は普段、特に特定の人や集団を意識していることはありません。
どちらかというと「偏見は持っていない」と思っていました。
「偏見を持つ」=良くないこと、というイメージすら持っています。

ところが、最近ふと気が付いたことがあるのです。
それは、いつの間にか私も偏見を持っていたということ。

わが家では、使わなくなったiPhoneを子どもたちに時間を決めて触らせています。
子どもたちは幼児向けのアプリで遊んだり、YouTube Kidsで動画を見て楽しんでいるのですが、あるとき、3歳の子が外国語の動画に行きつき、気に入って見始めました。
私はその外国語が聞こえてきたとき、「見せたくない」と思ったのです。
そして子どもが見ている画面をのぞき込み、字幕を確認しました。
「ああ、やっぱり。見せたくない」
字幕の文字を見て、もう一度そう思いました。

内容は何も問題がない、楽しい幼児向けの動画です。
これが日本語であれば、私も何も気にならなかったでしょう。
ただ、その外国語に引っかかったのです。

なぜ、その外国語が嫌だと思ったのか。
私は意味もなく偏見を持っているんだろうか…、と「見せたくない」と思った自分に残念な気持ちになりました。

そこでふと思い出したのが、学生時代のことでした。
私は知り合いにその外国語を話す人がいました。
その人とは性格が合わなかったのか、仲良くできなかったのです。
キツい言葉を言われたり、泣かされたこともありました。
私もその人とは距離を置くようにしていました。

私がその外国語を聞いて「見せたくない=聞きたくない」と思ったのは、おそらくその学生時代の経験のせいなのではないかと考えました。
私のなかでは確実に「嫌な思い出」だからです。

嫌な経験、嫌な思い出というのは誰にでもあるのではないでしょうか。
そうすると、誰もが何かしらの偏見をもっているのかもしれません。

ただ、そこでその「嫌だ」という気持ちを自分以外の人に押し付けるのは違います。
私はその外国語の動画を「見せたくない」と思いましたが、これはわが子に「ママはその言葉が苦手だから、あなたも聞かないで」と、気持ちを押し付けようとしていたんだと思います。
私はなんとか実行せずに見守ることができましたが、その動画を楽しそうに見ている子どもを見て、偏見がなければ楽しく見ることができるんだな」とぼんやり思いました。

3歳の子どもには、まだ「嫌な思い出」が少ないか、無いのかもしれません。
大人の場合はたくさんの経験を積んで、たくさんの嫌な思いもしています。
そういった面でも、子どもの心は真っ白なんだなと感じました。

「偏見」を持つことは仕方のないこと、自分でもどうしようもないことかもしれませんが、自分以外の人、とくにわが子に押し付けることがないよう、気を付けようと思いました。

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